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世界遺産はそれぞれの分野で日本各地に点在しています。

その中で「平泉」は文化遺産に登録されており、生涯に一度は訪ねてみたい歴史と平和の遺産です。東北・岩手県の南西部に位置する平泉は古来から仏教文化が栄え、平安時代の奥州藤原氏の時代に全盛期を迎えています。

地名はそれ以前からあり、藤原氏が平泉に寺院や庭園を造り、浄土思想に基づい理想社会を実現しようとしたエリアです。政治的にも優れた施策で陸奥に安定と平和を築き上げていました。

陸奥に藤原氏、関東に源頼朝、都に朝廷がある、と言われていたほど国内でも有数の力を持っていました。石高も豊かで軍事力も強く、一時期は源頼朝すら恐れていたほどでしたが、藤原氏には国内を制圧しようというような思いは無く、あくまで平和な社会の運営のために寺院を建立し続けました。その思いは初代清衡が中尊寺建立の際のが願文込めた「陣没した官軍や蝦夷の死、狩猟を避けられなかった北方世界では鳥獣、魚介にも数多くの犠牲が出た。

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すべての、ゆえなくして倒れた命を、寺の鐘の鳴るごとに等しく浄土に導きたい」という文章に表されています。その平和への願いが藤原三代(泰衡を加えた四代とすることもある)にわたって受け継がれ、100年間の平和を実現したのでありました。ここに世界遺産登録への大きな意味があります。日本でも類を見ない数のお堂の建立(火災で焼失)や庭園の造営はひたすら浄土を求め続けた宗教者の生きざまそのものです。

世界遺産平泉には現代人にも馴染みのある側面も持ち合わせています。源平合戦の最大の功労者にして歌舞伎でも有名な源義経が幼少の頃、この平泉で育っているのです。初代清衡を父のように師として仰ぎ薫陶を受け、いざ鎌倉の際には兄である頼朝から冷たくあしらわれ、それでも源氏を勝利に導きました。

その後、兄から追われるようになり日本国内をさまよい続け、疲れ果てて再び平泉に戻って来るのです。頼朝は執拗に義経を狙い、ついに平泉を滅ぼしてしまいました。平和を求め続けたものが武力と策略によって破れてしまったのです。2016年、世界に再び平和と安定を願いながら、奥州藤原氏の残した史跡を訪ね、私たち一人ひとりが平和を実現するものとなってゆけるように、世界遺産の意味を受け止め直したいと願ってやみません。

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